1415796 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

ほかの神様は大切にしないの

★アッコマーマさんのご質問★-------------------------------------------
 (中略)どの宗教も創始者の生き様や伝えられたお言葉は皆素晴らしいと思います。私は全ての事に感謝と前向きな心で生きる事が出来れば、いいなと考えています。素朴な疑問があります。牧師さんは神社やお寺へ参拝なさる事は一切ないのでしょうか。例えば観光で歴史的に有名な国宝を見物して観音様に手を合わされるといったような事はどうなのでしょうか ? (9月29日6時23分)
-----------------------------------------------------------------

 ボクもアッコマーマさんのように、宗教の創始者の生き様や、伝えられたお言葉に興味を持っています。親鸞上人の「歎異鈔」を読んで、どんなに心をわくわくさせたでしょう。仏教などの開祖たちのお言葉などにもっと触れたいと思います。

 さて「素朴な疑問」をお寄せくださいましたね?
 ボクの町には壮大で美しい「三島神社」があり、春には桜の名所ともなります。家内と散歩に行く年もあります。日本のあらゆる文化財は、宗教施設をも含めて、大切に守りたいと思います。
 でも残念ながら、「手を合わせる」ことはありません。そのわけは・・・・?
 ボクたちキリスト信者は、キリストというお方を、自分の個人的な神様として信じ、毎日、毎朝(ちょっと大げさに言えば、毎瞬間)拝んでいることは、ご存じかも知れません。

 「その神様を信じるのはいいけど、こっちの神様も信じないの?」

 ボクもイエス・キリストに出合う前は、すべての神様を尊敬していました。美しい山や芸術品を見ると、この中に神様がお宿りしているかも? と思い、厳かな気持ちを持ったこともあります。

 でも教会に行ってイエス様を心にお迎えしたとき、そのほかの全部の神様がボクの心から消えていきました。
 それはボクが今の家内を結婚の対象として見つめた時、そのほかの全部の女性がボクの心の中から消えてしまったことと、とてもよく似ています。
 心の中では、ボクは道を歩くとき、イエス様と手をつなぎ、イエス様に寄り添って歩いているのです。何かをする時には、イエス様に相談します。その歩みの中で、別のどんなに尊い神様が目に入っても、もうボクには関係がなくなりました。
 ボクたちの心を楽しませ、精神生活を豊かにしてくれる様々な建物や像、きっと、長い期間をかけて、心を込めて作られているのでしょう。しかし手を合わせるお方は、ただ一人です。



© Rakuten Group, Inc.